2008年03月28日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part6

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第六章(最終章)です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part6
第六章(最終章):「GC延期の真相」 


GCの延期の理由として「ハードの安定供給のため」と「自社のソフト開発の遅れ」がある。ただ、この延期の真相は、他社のソフト開発に合わせるという意味もあったのではないだろうか。


4月18日の会見上、山内社長はアメリカで行われるE3で「GCが評価されなかったら、発売の棚上げもありうる」と言っているが、「GCの評価」とは、つまり「GCでできるソフトの評価」に他ならない。山内社長はGCが成功するかどうかは、GCで発売されるソフトが命運を握っていると考えているのだ。


そのため、GCのソフトは面白いものでなければならないが、それが自社のものであるか、他社のものであるかは、この際、関係ない。GCが評価されなかったら、任天堂は「大打撃を受ける」(4月18日の経営方針説明会での山内社長の発言)のだから。


GCが評価されるためには、自社は勿論のこと、他社のゲームをも必要としている。だから、今回の延期は他社のゲームソフトメーカーに充分な開発期間を与える意図もあったと推測できるのだ。


任天堂は、必ずしもそうは思っていないかも知れない。しかし、延期によって結果として他社のゲームソフトメーカーに充分な開発期間を与えたことになったのは、紛れも無い事実なのだ。


これによって、GBAと同じく、GCでもハードと同時発売のソフトが多くなると予測できる。任天堂の家庭用ゲーム機に久し振りにソフトを出すゲームソフトメーカーも増えてくるであろう。


こうしてみると、任天堂はFC・SFC時代の未徹底であった少数精鋭主義に回帰しているように見える。ソフトの質はもちろん、多様性をも有していたFC・SFC時代に。そう言った意味では、GCは、FC・SFC の進化した生まれ変わりなのかもしれない。そうなると、GCはゲーム業界内でFC・SFCと同じ役割を演じる可能性がある。


王者PS・PS2に挑むGC。かつて王者だったFC・SFCから王者を奪ったPSと同じように、ナンバーワンプラットフォームを再び奪うことができるのだろうか。業界内で強固な地盤を作り上げたPS・PS2ではあるが、物事には絶対は存在しない。


PS・PS2がいつまでも王者として君臨し続ける保証は何処にも無いのである。だからこそ、GCが王者になる資質は充分にあるのだ。9月14日が楽しみである。(おわり)

2008年03月26日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part5

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第五章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part5
第五章:「成功がもたらした“失敗”」 


N64で実践された任天堂の少数精鋭主義は一定の成功をもたらしたが、その一方で無視できない弊害を生むようになった。その弊害とは、少数精鋭主義がもたらした「ソフト不足」である。少数精鋭主義が徹底されたことにより、任天堂ソフトが市場を独占するようになったが、逆にN64ソフト市場では任天堂以外のソフト不足が深刻になった。


いくら、任天堂のソフトが優秀だとは言え、自社以外のソフトを半ば締め出してしまう任天堂のやり方では、以前と比べてどうしても他社のソフトが不足してしまう。事実、ナムコやスクウェアといったそれまでFC・SFCを支えてきたゲームソフトメーカーはN64に殆ど供給することはなくなった。


こうした結果は、N64市場の多様性を奪うことにつながる。なぜなら、N64で任天堂が他社を締め出せば、締め出すほど「色々な種類のゲーム」が遊べなくなるからである。確かに、任天堂ソフトは質がよい。だが、任天堂では作れなくて、ナムコやスクウェアでなければ絶対作れないゲームは必ずあるはずなのだ。


N64では、少数精鋭主義を遂行したために、ナムコやスクウェアのゲームという、任天堂のゲームとは毛色が違うゲームが遊べる環境を排除してしまったのである。


しかし、任天堂の掲げた少数精鋭主義では、このような自体が起きることは、ある程度予測がついたはずである。では、なぜこれを「弊害」と捉えてしまったのであろうか。


その答えはPSの大成功にある。PSは「様々な種類のゲームの存在がハードを成功に導く」という戦略のもと、ソフトを豊富に供給した。ソフトの数こそが、ゲーム市場で勝利する要因であると考えていたのである。これは、任天堂の少数精鋭主義からと真っ向から対立するものであったが、ユーザーはPSに軍配を上げた。


99年度のPSとN64のソフト販売本数では、前記の通りPSが4285万本、N64が785万本と5倍近い差が生じていることが何よりの証拠であろう。N64の、一年間でのソフト総販売本数が785万本…。これがかつて、年間新作ソフトだけでも2700万本も売り上げたこともあるSFCの後継機が残した数字とは全く想像が出来ないほどの不振ぶりである。


任天堂にしてみれば、これほどの差(PSとの差であり、SFCとの落差でもある)が表れるとは夢にも思っていなかったであろう。N64は、少数精鋭主義の実践により、以前にも増して、質的な面でも、量的な面(販売本数) でも成功すると考えていたはずなのだから。しかし、そうはならなかった。質的な面では勝利しても、多種多様なソフトを供給したPSに量的な面で大敗したのである。


任天堂が「弊害」だと感じたのは、この点があるからであろう。少数精鋭主義を徹底するあまり、量的な面でPSにもSFCにも負けたのであるのだから。(つづく)


続きはこちら→第六章(最終章):「GC延期の真相」

2008年03月25日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part4

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第四章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part4
第四章: 「N64の成功」


N64は任天堂の期待通りの結果をもたらした。99年度の数字がそれを物語る。他社のゲームソフトメーカーの参入を抑制することで、99年度のN64ソフト売上ランキング上位30位の販売本数の合計のうち、なんと87.2%を任天堂のソフトが独占した。しかも、ソフト少数精鋭主義にふさわしく、N64ソフト一本あたりの平均販売本数は15万本を軽く超えている


他に10万本を超えているのは、わずかPS2だけであり、N64ソフト販売総本数(785万本) の5倍近い本数を記録したPS(4285万本)でさえも、ソフト一本あたりの平均販売本数は5万本程度でしか無いのである(「電撃王 BUSINESS SPECIAL Vol.1」 メディアワークス 2000 P61〜62)。このソフト一本あたりの平均販売本数がPSの3倍近い数字を残していることは、特筆に値する。


PS のように多くの種類のソフトをなんでも大量に出すのではなく、良質なソフトを選りすぐって出した方が、一本あたりの平均販売本数がとても大きな数字になっているからである。つまり、任天堂が言う「良質な選りすぐりのソフト」は、総販売本数という量の面では負けつつも、一本あたりの販売本数という質の面で大勝したのである。


任天堂のN64ソフト市場における高いシェアと、ソフト一本あたりの平均販売本数の高さは任天堂が掲げた「少数精鋭主義」が目指したものが結実した結果なのである。


市場の崩壊を招きかねない、PSのようなソフト大量供給を行うのではなく、少数の選りすぐりの良質のソフトを販売することで成功するという任天堂の戦略は、N64でついに成功を納めたのである。たとえ、それによってPSにソフト総販売本数で大敗しようとも……。(つづく)


続きはこちら→第五章:「成功がもたらした“失敗”」

2008年03月24日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part3

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第三章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part3
第三章: 「N64こそは」


任天堂がゲーム市場存続の為に掲げたその主張も、ファミコン(FC)やスーパーファミコン(SFC)時代では、充分とは言えなかった。特にSFC時代では任天堂は176社とのゲームソフトメーカーと契約を結び、「月に百本近くものソフトが出たこともあった」(「ゲームの大學」 著平林久和・赤尾晃一メディアファクトリー 1996 P350)ほどの乱売状況も記録したこともあったし、92年には「新作ソフトだけでも一八〇タイトル・2700万本」が出荷されたこともあったのである (「プレイステーション 大ヒットの真実」 著 山下敦史 JMAM 1998 P79)。


FCやSFC導入期ではきちんと少数精鋭主義を打ち出しつつも、充分に機能しなかったがこの数字から見てとれる。だが、N64発売時には、これらの習慣を見直し、任天堂の主張を固く守ろうとした。


他社のソフトメーカーから出す本数を限定させ、さらには他社のゲームソフトメーカー自体を極力参入させないようにしたのである。その結果、ナムコやスクウェアと言った大手のメーカーはPlayStation(PS)陣営に流れ、N64でソフトを出すことは殆ど無くなるのである。


これにより、任天堂はN64で初めて、自分の主張を実践できる環境が整ったことになったのある。従来から主張してきた「少数精鋭主義」は、N64という新プラットフォームでようやく実行出来る時がきたのである。(つづく)


続きはこちら→第四章:「N64の成功」

2008年03月23日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part2

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第二章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part2
第二章:「基本路線」



任天堂の基本路線とは、ゲームソフトの少数精鋭主義である。これは、数少ない選りすぐりのゲームソフトしか任天堂のゲーム機で出さないことで、粗悪ソフトをなくし、ユーザーに不利益を与えないようにするのが目的である。


粗悪ソフトを少しでも減らせるのであれば、極端な話、他社のゲームソフトメーカーには参入してほしくない、とまで考えている。それはソフトの数が多くなればなるほど、任天堂の良質なゲームソフトとは違う粗悪ソフトが世に出る可能性が高くなるからだ。


任天堂のゲーム機は第一に、ウチが開発するゲームソフトのためにある」(1997年6月27日 朝日新聞)。


今西紘史取締役が、こう話していることからも、任天堂の少数精鋭主義が、実は自社ソフト優先主義にもつながっていることがわかる。

なぜ、任天堂はこうした戦略をとるのか。それは昔、アメリカでそれまで繁栄を誇っていた家庭用ゲーム市場が粗悪ソフトの氾濫によって、ゲーム自体がユーザーから飽きられ、家庭用ゲーム市場が一夜にして崩壊してしまったという暗い過去が教訓になっている。


アメリカで起きた失敗を日本で起こしてはならない。そう考えた任天堂は市場崩壊の元凶であった「粗悪ソフト」を市場に出してはならないと判断したのであった。その目的を達成するためには、自社が率先して優れたソフト作り続けて、たとえ他社がソフトを開発したいと申し出ても粗悪ソフトが出る可能性を考慮して断る方針が生まれたのである。すべては市場崩壊をさけるために、である。(つづく)


続きはこちら→第三章:「N64こそは」

2008年03月22日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part1

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第一章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part1
第一章:「二ヶ月延期」


2001年4月18日、任天堂は今年7月に発売されるはずであった家庭用ゲーム機「ゲームキューブ」(GC)の発売日を9月14日に決定すると発表した。


当初、任天堂は7月に発売すると明言し続けていたが、二ヶ月延期される事となった。これについて山内任天堂社長は「安定的・継続的にGCを供給するために延期するのだ」という主旨の発言をした。同時に山内社長は自社ソフトの開発も遅れていることも明らかにし、これもハード発売延期の一因であることを認めた。結局、GCはソフトの面でもハードの面でも、当初予定の7月発売は困難だったわけである。


一方、気になる価格であるが、5月24日の決算発表の場で公にすることになった。ただ、価格以上に、いや、GCの発売延期以上に、気になることが説明会場であった。それは、山内社長のこの発言だ。


「E3(注)でゲームキューブのソフトを始めて多くの人の前に出す。見た人の半分が評価するのが目標。評価されなかったらゲームキューブ発売棚上げも考える」(2001年4月19日 日経産業新聞)。  


評価されなかったら発売棚上げ……。ハードもソフトも9月14日発売に向けて準備し、明確に発売することを決めた後でのこの弱気発言。強気で鳴らす山内社長の発言とは思えないほどだ。


そもそも、山内社長は現行機の「NINTENDO64」(N64)を発売した当初は「究極のゲーム機」と形容していたし、マリオの生みの親である任天堂の宮本茂氏が「五年間は使える機器」(1997年6月27日朝日新聞)と言いつつも、「これをお買いになったら10年間(ゲーム機を)買わなくたって良いわけです」(「NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻ビデオゲーム・巨富の攻防」 P356〜357 著相田茂・大墻敦 日本放送出版協会 1997 (カッコ内は著者の加筆) )とも言っていたのだ。


その人物が、これから発売する、期待のゲーム機の「棚上げ」まで言及したのである。強気の塊とも言える山内社長の弁であるとは、にわかに信じ難い。


なぜ、山内社長はこのような弱気発言をしたのであろうか。そこには任天堂が従来から主張している基本路線に変化があったためではないだろうか。だから、山内社長は「棚上げ」発言をしたのだ。


では、どうして基本路線を変更しなければならなくなったのか。このコラムでは、それを考えつつ、最終的に、任天堂のGCはゲーム業界で生き残れるのかどうかまで検証してみたい。(つづく)


(注)E3とは、「Electronic Entertaiment Expo」のことで、世界最大のコンピューターゲームの祭典と言われる。アメリカで開催。


続きはこちら→第二章:「基本路線」

2008年03月10日

過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part5

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月27日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」の第五章(最終章)です。


今では当たり前になったソフトメーカー同士の提携ですが、当時ではまだ珍しく、それだけに注目度の高いニュースだったと言えます。スクウェアはエニックスと、ナムコはバンダイとそれぞれ経営統合を行ったため、現在ではこの提携は意味をなさないものになっておりますが、当時はそれなりに意義のあったものだと言えます。当コラムではそれを解き明かすために記されたものです。


過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part5
第五章(最終章):「相互監視」


今回の提携で既に成立しているかもしれない効果は「相互監視」ではないだろうか。最近のゲームソフトメーカーの業績ははっきり言って良くない。業績不振の煽りは、真っ先に株主が受けるのだが、各創業者は大株主であるがゆえに、その影響は大きい。そうした背景と、このままではいけないという将来への危機感があったために、今回の株式持合が行われたのではないだろうか。


株式会社である以上、会社は株主に対して経営状態を説明する責任がある。今回のゲーム三社も株式会社であるから、同様に株主に対して説明責任がある。そのために株主になると、その会社がどんな事をやろうとしているのかが分かるのだ。各創業者は、今回の持合によって、株主になるのであるから当然それを知る事ができる。さらに、各創業者は他の会社にとっては部外者にあたるため、第三者の立場から客観的に経営を判断する事が出来る


例えば、ある会社が収益の増加を目指し、新たにアミューズメント施設を新設したいと言ったとしよう。その時、株主である他の創業者は、既存のアミューズメント施設の不振を理由に新設を反対するかもしれないし、逆に収益が上がる施設にするために様々なアドバイスをするかもしれない。


彼らが狙っていた効果は、まさにこれではないだろうか。客観的立場から各企業の経営をチェックし、変な所があれば改善させたり、良い点があれば更に向上させる。三社の業績を恒常的に良くさせるために、各創業者は各企業を相互にチェックするという株式の持合体制を作る決断したと考えられるのだ。


提携会見で、各社の経営陣が「何も決まっていない」と連発したのは、まず最初に、各社の経営を相互に監視する体制を構築しようとしたからではないか。そのうえで、もっと包括的な提携の話も出たために、とりあえず「提携」という器だけを作り上げたのではないだろうか


今、例としてあげたアミューズメント施設の新設に際して、各創業者がアドバイスを送るだろうと言ったが、彼らは自らのアドバイスだけではなく、自らの会社の技術をも複合させれば、もっと良くなるのでないかと考えたための提携だったのだ。


もし、今後、何処かの会社で先程の例のように「アミューズメント施設の新設」の話が出た時には、各社が素早く協力できる体制を作り上げるために「提携」だけを先に結んでしまったのだ。だからこそ、会見の内容は、ほぼ無いに等しいものになってしまったのである


将来、この三社が結んだ提携は面白いものを生み出す可能性がある。特に、スクウェアの大型事業であるPOLは注目に値するだろう。今のままでは、採算割れするだろうと言われている事業に対して、ナムコ中村会長兼社長・エニックス福嶋会長はどのようなアドバイスをし、どのような協力体制を自社に指示するのであろうか。おそらく、ナムコ・エニックスはPOLに素晴らしいコンテンツを供給するだろう。逆にそうしなければ、提携した意味はなくなってしまう。


POL に対して何もしないのであれば、もともと提携などせずに、株の持ち合いだけに留めておけば良いはずだ。提携した以上は何かをするだろう。ただ、それが、何であるかはまだ分からない。スクウェアの今後の目玉の一つであるPOLに中途半端なものは出さないであろう。POLを見れば、三社の提携がうまく行くのか、或いはそうでは無いものになるのかが分かるような気がしてならない。(おわり)

2008年03月08日

過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part4

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月27日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」の第四章です。


今では当たり前になったソフトメーカー同士の提携ですが、当時ではまだ珍しく、それだけに注目度の高いニュースだったと言えます。スクウェアはエニックスと、ナムコはバンダイとそれぞれ経営統合を行ったため、現在ではこの提携は意味をなさないものになっておりますが、当時はそれなりに意義のあったものだと言えます。当コラムではそれを解き明かすために記されたものです。


過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part4
第四章:「プレイオンラインの共同利用」




プレイオンライン(POL)とはスクウェアが始めるネット事業のことである。スクウェアはオンラインゲームに大きな期待を寄せているため、そのプラットフォームになるネット事業POLには力を入れている。


今後発売される「ファイナルファンタジー10」は一部ネット対応になるし、続編である「11」は完全にオンラインゲームになる事がそれぞれ予定されている。スクウェアは徐々にオンライン化するファイナルファンタジーを活用して、POLを今後の収益源にしたいと考えているのだ。


ただ、POLは周囲から不安視されている。ドイツ証券の大屋高志アナリストは『FF11投入で一時的に増えても年間通じて五十万人弱を確保するのは困難』(2001年 2月20日 日経金融新聞)と述べ、POLの収支をゼロにする水準のために必要な会員数である50万人の確保でさえ難しい、との見解を示している。


そうした中で、ナムコやエニックスと提携するのは、スクウェアにとって大きな意味がある。なぜなら、ナムコやエニックスもオンラインゲームに大きな期待をしているからだ。エニックスの本多社長はオンラインゲームについて『ネットゲームは新市場を生むチャンスです。(略)ネットという新しい場で“第二のドラクエ”を生み出したいと思います』(2001年 5月5日日経産業新聞)と言っており、オンラインゲームに対して非常に意欲的だ。ナムコも基本的に同じである。


各社がそれぞれオンラインゲームを出すのであれば、スクウェアとしては自分のPOLを利用してもらいたいと考えるのは当然であろう。ただでさえ、POLは赤字になると言われているのだから、ファイナルファンタジー以外の、他の有力なコンテンツをPOLに集めることで、会員を増やし、収益を確保したいはずである。


一方、ナムコやエニックスにとってもPOLにオンラインゲームを供給するのは悪い話では無い。オンラインゲームはパッケージソフトと違い、一度消費者の手に渡ったらそれで終わり、という商品ではない。オンライン上にゲームが存在する限り、サーバーの管理などの維持運営費が常にかかる。こうしたコストを少しでも減らすためには、他社と共同して運営した方が得策だと考えるのは当たり前であろう


さらに、POLにオンラインゲームを供給すれば、POLにスクウェア・ナムコ・エニックスのオンラインゲームが集中する事になる。そうなると、「ゲームがたくさん出ているから、ファミコン・プレイステーションを買おう」というユーザー心理と同じように、ユーザーはオンラインゲームをやる際にはまず、POL の会員になる可能性がある。ゲームが集まることによって生まれる相乗効果は、三社にとって思いがけないほどのたくさんのユーザーをもたらすかもしれないのだ。


今述べた効果は非現実的なものではない。POLでの提携は高い確率で発表されるのではなだろうか。(つづく)


「POLの収支をゼロにする水準のために必要な会員数」は、先日新たに発表されたものによると約30万人に下がっている。


続きはこちら→第五章(最終章):「相互監視」

2008年03月07日

過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part3

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月27日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」の第三章です。


今では当たり前になったソフトメーカー同士の提携ですが、当時ではまだ珍しく、それだけに注目度の高いニュースだったと言えます。スクウェアはエニックスと、ナムコはバンダイとそれぞれ経営統合を行ったため、現在ではこの提携は意味をなさないものになっておりますが、当時はそれなりに意義のあったものだと言えます。当コラムではそれを解き明かすために記されたものです。


過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part3
第三章:「共同でゲーム開発」


提携した各社で同一のゲームを開発するのも、一つの提携効果である。2001年4月20日付の日経産業新聞は、カプコンとナムコが業務用ゲーム「ガンサバイバー2バイオハザードコード:ベロニカ」を共同開発すると報じた。カプコンの人気ゲーム「バイオハザード」を題材にし、体感型業務用ゲーム開発技術に優れたナムコが協力する事によって、両社が一体となってゲームを開発するという。


共同でゲームを開発する場合、先程記した開発機材の共同使用によるコスト削減だけではなく、また新たな効果もある。それは、各社が持っている、それぞれの強みを新ゲーム開発に投じることで、いままでになかった面白いゲームができる可能性が高まる点である。


ナムコとカプコンの例を見ると、家庭用ゲームとして大人気であったカプコンの「バイオハザード」をより体感的にしてゲームセンターでも遊べるようにするために、体感型業務用ゲームに優れた技術を持っているナムコと共同でゲームを作る事になった。


このことは、家庭用ゲーム「バイオハザード」にはそれほど存在し得なかった「体感性」を付加した新しいゲームを創造したことになる。つまり、バイオハザードの業務用ゲームをカプコンとナムコが共同製作する事により、新しい面白味が加わったのである。


これは、ナムコ一社でも、カプコン一社でも作り上げる事は、難しかったであろう。それぞれの強みを持っている企業が一緒になって面白いゲームを作り上げることができる。これこそ、提携の効果ではないだろうか。


当然ながら、こうしてできたゲームが全てヒットするわけではないが、ゲームをヒットさせるためには、絶対に面白くなければならない。提携によって面白いゲームが出来たとなれば、ゲームがヒットする確率以前より高まったと言えるのだから、効果は製品が出来た時点で既に生まれてきているのである。


このように共同でゲームを作る場合、方向性さえ間違えなければ、面白いゲームが出来るという高い提携効果を見こむことが出来る。さらにナムコはカプコンとの経験があるので、エニックスやスクウェアと共同でゲームを製作することには前向きであろう。


エニックスやスクウェアには、それぞれの強みがあるし、共同製作によって面白いゲームが作れるのであれば、彼らも積極的に参加するだろう。従って、三社の共同製作ゲームが近い将来、誕生するのも夢ではないと考えられるのだ。(つづく)


続きはこちら→第四章:「プレイオンラインの共同利用」

2008年03月06日

過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part2

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月27日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」の第二章です。


今では当たり前になったソフトメーカー同士の提携ですが、当時ではまだ珍しく、それだけに注目度の高いニュースだったと言えます。スクウェアはエニックスと、ナムコはバンダイとそれぞれ経営統合を行ったため、現在ではこの提携は意味をなさないものになっておりますが、当時はそれなりに意義のあったものだと言えます。当コラムではそれを解き明かすために記されたものです。


過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part2
第二章:「コスト削減」


提携によって生まれる効果として、最も期待できるのが、コスト(費用)の削減である。現在、ゲームの開発費はうなぎ上りで上昇している。昨年発売されたスクウェアの大人気ソフト「ファイナルファンタジー9」の開発費は40億円と言われているし、プレイステーション2(PS2)で初のミリオンヒットになったカプコンの「鬼武者」では10億円がかかったという(2000年 7月7日夕刊読売新聞・2001年 4月24日日経流通新聞MJ)。



多額な開発費をかけて、確実に売れれば良いが、決してそんな事は無い。大規模な開発費を投入して製作したゲームであるにもかかわらず、期待通りには売れない例は数え切れないほど存在する。企業の側としても、そのようなリスクは出来る限り避けたいはずなのだ。


ただ、今はゲーム機の性能も飛躍的に向上してるため、それに合わせたゲームを作るとなると、やはり高額の開発費が必要になる。例えば、ゲームを開発するためには無くてはならない開発機材であるが、PS2の場合、一台200万円もする大変高価なものなのである(週刊ファミ通 2001 3/16 エンターブレイン P99)。当然、ゲームは開発機材一台で出来るはずも無いので、複数台必要になる。仮に、50台揃えるとなると、もうそれだけで一億円になる。


今のような現状は、ゲームソフトメーカーにとって決して好ましい事ではない。メーカーにとって売れる保証が無いゲームソフトの開発費は低ければ低いほどよい。もし、ゲームが売れないとしても、安い開発費であれば大きな損害を受けずにすむし、逆にゲームがヒットすればそれだけ多額の利益を得ることができるのだから。


高額な開発費を少しでも減らすために、他社と提携するのは充分意味がある。提携による開発費抑制の分かりやすい例としては、開発機材の共同利用があろう。一つの機材を複数の会社が使うことで、高価な開発機材を個別に買わなくてもすむようになる。どうせ、PS2向けにソフトを作るのであれば、なにも一台200万円もする高価な機材を別々のメーカーが揃える必要は無いのだ。


提携によって開発機材を買わずに済んだのであれば、開発費抑制には成功したと言える。特にナムコ・スクウェアは2001年3月期の決算において赤字なのであるから、地味ではあるが、着実に減らす事の出来るコストは徹底して減らしていくと考えられる。なので、すでに三社の間では具体的な話が進んでいるのではないだろうか。(つづく)


続きはこちら→第三章:「共同でゲーム開発」

2008年03月05日

過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part1

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月27日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」の第一章です。


今では当たり前になったソフトメーカー同士の提携ですが、当時ではまだ珍しく、それだけに注目度の高いニュースだったと言えます。スクウェアはエニックスと、ナムコはバンダイとそれぞれ経営統合を行ったため、現在ではこの提携は意味をなさないものになっておりますが、当時はそれなりに意義のあったものだと言えます。当コラムではそれを解き明かすために記されたものです。


過去のコラム編集:2001年5月「ナムコ・エニックス・スクウェア提携」Part1
第一章:「奇妙な会見」


ゲームソフト大手のナムコ・エニックス・スクウェアは、2001年4月23日に三社が事業提携をしたと発表した。具体的な内容は、各社の創業者であり大株主であるナムコ中村雅哉会長兼社長、スクウェア宮本雅史元社長、エニックス福嶋康博会長の三者が、相互に保有株式の一部を今後、持ち合うようにするというものであった。ただ、株式の持ち合いとは言っても、株式の大部分を相互保有するわけではなく、わずかな数を持ち合おうとするだけである。


4 月23日に行われた三社の提携発表会見で、唯一中身のあった話はこれだけであった。各創業者が三社の株を僅かに持ち合う。たったこれだけの話が「ゲームソフト大手三社の提携」と言うのであるから、ちょっと普通ではない。通常、企業同士が提携会見を行う場合、どんな分野で協力するのかを予め明確にするのが当たり前である。


例えば、昨年、ゲームソフトメーカーであるアトラスと出版大手の角川書店が提携した際、今回と似たように、角川書店がアトラス株の10%を保有する事が発表された(ただし、今回の提携と違う所はアトラスが、角川書店の株を持つような事は無かった点である。つまり、相互保有ではなかったのである)。


この提携では、株式保有だけでなく、アトラスのゲームソフト開発力と、角川書店の宣伝広告力を活用して、主としてゲームソフト事業で協力していくことが公にされている。このアトラス・角川書店の提携発表に代表されるように、普通、提携会見では何について共同してやっていくのかを明確に打ち出す。アトラス・角川書店の場合は「ゲームソフト事業を共同してやっていく」である。


しかし、今回のナムコ・エニックス・スクウェアの場合は、そうではなかった。なぜだろうか。その答えは次の言葉に隠されている。


『何も決まっていない』(2001年 5月2日 日経産業新聞)


この言葉を会見に現れた各社の経営陣は連発したという。だが、それもそのはず。各社は、この株式持合いの話を、それぞれの創業者から聞かされたばっかりであったのだ。そのため具体的な提携を検討する暇などあるはずが無かったのである。つまり、この具体的な中身に乏しい提携会見は、各社の大株主の独断専行によって生まれたものであるとも言えるのだ。


では、彼らは一体、提携によって何をしようとしているのだろうか。今回のコラムでは、何の具体案の無いナムコ・エニックス・スクウェアの提携がどんな意味を持っているのかを予想してみたい。(つづく)


続きはこちら→第二章:「コスト削減」