このコラムでは、ゲーム業界における「葬式」が遅れたことが弊害をもたらしているのではないか、という事を考察したコラムとなっております。基本的にゲームと葬式には何ら関連性がありませんが、ここで「葬式」という言葉の意味は、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ポール・サミュエルソンの主張(下記引用文)をご覧頂ければ理解していただけるものと思います。
『…だれのせりふでしたか、科学ってやつは葬式ごとに進歩するものなんです。先人を葬り去りつつ進むわけですね』(P2 「クルーグマン教授の経済入門」 著ポール・クルーグマン 訳山形浩生 メディアワークス 1998)
進歩をするためには、先人を葬りつつ前に進まなければならないのですが、さてゲーム業界ではその「葬式」は行われてきたのでしょうか。その詳細を含めて、続きは本文をご覧下さい。
第四章:「偉大なる中小」
中小ソフトメーカーには大きな期待が寄せられている。大手ソフトメーカーでは出来ないことをやれる力と可能性を持っているからだ。ひとつは、下請けとして、もうひとつはゲーム業界の未来を拓く者として、である。特に、未来を拓く者としての役割を望む声は一際大きいだろう。
ゲーム業界が今日抱えている大きな問題の中に、ゲームのネタ不足があることは前にも述べた。似たようなゲームが多く登場し、新作であるはずのゲームでさえユーザーに新鮮味を与えられなくなってきている。
かつて遊んだことがあるゲームと同じようなゲームソフトを、ユーザーはいつまでも買い続けてくれる保証は無い。飽きが来るのは、時間の問題なのだ。現状が、このまま改善されなければ、いつか訪れるであろう業界消滅の日を待つほか無い。それを避けるために、大手はいま、中小に熱い視線を送っているのだ。
しかし、中小にとっては思いもかけない重責を背負わされた感がある。確かに、業界のマンネリ感は消し去らなければならないものであるし、ゲーム業界に身を置く一員として、マンネリ感を打破できなかった責任は中小にもある。そのことを承知した上でも、中小にはこの役目は重い。
なぜなら、葬式は本来大手が為すべき義務だったのだから。大手は、業界をリードしていく立場にあり、当然果たさなければならない義務もある地位にいたはずなのに、それをしなかった。偉大なる先人達を葬り去り、業界全体に進歩の恩恵をもたらすことをしなかったのだ。
大手は、長年に渡り、先人達を葬り去るどころか逆に第一線で利用してきたのである。そのツケを、いま中小に払わせているのだ。中小にとってはつらい役回りだが、逆に考えると中小が偉大なる先人達を葬り去ることができたのであれば、その名は歴史に残る。初めて葬式をとり行った喪主として。そして、進歩の恩恵をもたらした偉大な中小として。
巨星を墜とすのには、相当な努力が必要だが、遅れに遅れた葬礼をとり行なえるのは、中小ぐらいしかない。彼ら中小に本当の力があれば、巨星は必ず落ちる。だが、葬り去られる立場にある巨星達は、事態がそうなった時、潔くその場を退くことができるのだろうか。
長年に渡り、ゲーム業界のトップに君臨してきた彼らは、もしかしたらその座にこだわるかもしれない。しかし、引き際を考えるのも、先人達の義務であり、与えられた特権だ。それを上手に行使することを願わずにはいられない。
ただし。引き際に先人達はこう言うかもしれない。「葬式なんて縁起でも無いことを言うのはやめてくれ。老兵は“死なず”。ただ消え去るのみ、だ」と。(おわり)
初出:メールマガジン「ゲームいろいろ情報」2002年3月頃(詳細な月日は現在、不明)
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