2007年05月10日

過去のコラム編集:2002年3月 「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」part4

当該記事は、2002年3月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」の第一章です。

2002年の記事ですので、かなり古い記述になっておりますが、文章の保存を
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ので、ご了承下さい。



第四章:「経営陣の手腕」

前章はこちら→「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」part3


ゲーム業界の悪癖と宿命をテクモとコナミはそれぞれ独自の方法で克服せんと努力をしている。どこのソフトメーカーも同種の問題を抱えているだけに、両社の 挑戦は業界の体質を一変させる可能性を持っている。ただ、コナミの手法を用いることができるメーカーはほぼ無いだろう。


ゲーム事業以外の事業を以ってゲーム事業の宿命に対抗しようとする試みはユニークであるが、他のメーカーにとって企業規模が大きくなければ誰にも真似できないコナミ方式を参考にするのは難 しい。


反対にテクモの解決策はどのメーカーにもできる。開発者に発想の転換を求め、責任を負わせる方法に特別な資金は要らない。企業規模の大小を問わないテクモ方式が、その他のソフトメーカーにも伝播すれば、長年に渡って忌み嫌われてきた延期癖という悪癖を無くすことができるかもしれないのだ。テクモ方法は業界の悪癖を取り払う大いなる可能性を秘めている。


しかし、テクモ方式も万全ではない。不安点は当然ある。それは、全ての開発者がテクモ方式を受け入れるのか、ということだ。今まで開発者は時間や資金のこ とはあまり考えず、自由にソフトを制作してきた。『売上云々もまったく気にしなかったし、イイ物を作るために時間をかけることが美しいと思っていました』 (P32 週刊宝島 2001 3.14 NO.496 宝島社)と語るのは「メタルギア」シリーズを手掛けているコナミJPNの小島秀夫氏である。


この言葉は「メタルギア」シリーズが初めて世に出た1980年代を述懐したものであるが、開発者の中には現在でも小島氏がかつて持っていた考え方に同調する人間は少なくないはずだ。そのような考えを持つ彼らにいきなり発想の転換を求め、代わりに制約に等しい責任を与えたらどうなるか。おそらく反発を招くだけだろう。


もし、開発者達を説き伏せることができなければ、延 期癖は直らない。彼らを納得させられるかどうかが、大きな分かれ道なのだ。つまり、開発者達を説得する側である経営陣に全てがかかっているといっても過言 ではないのである。

ソフトメーカーの経営陣にかかる責任は重くなる一方だ。ゲーム市場の冷え込みからくる経営悪化が多くのソフトメーカーで起きるようになり、その責任をとる 形での経営陣の交代が一斉に起きている。セガ・スクウェア・アトラスなどが主な例だ。


旧経営陣が対応できない難問が山積しているからこその交代劇なのであ るから、それだけに新経営陣に課せられた責任は重い。当然のことながら山積している問題の一つに、開発費の抑制がある。それを達成するためには、悪癖の解 消は不可欠だろう。


ゲーム業界の構造改革には“裏技”は存在しない。改革の成否はすべて経営陣の手腕に委ねられているのである。(おわり)

2007年05月09日

過去のコラム編集:2002年3月 「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」part3

当該記事は、2002年3月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」の第一章です。

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第三章:「コナミの試み」


第二章はこちら:2002年3月 「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」part2



ゲーム業界の悪癖が延期癖ならば、宿命とも言えるのが「不安定さ」であろう。ゲームソフトは世に出してみなければ、売れるかどうか分からない。ゲームソフトは生活必需品ではなく、娯楽品なのだから当然だろう。その娯楽のためだけに存在しているゲームソフトが面白くなければ、ソフトの存在価値は無いに等しい。


もし、ゲームユーザーに面白くないと判断されてしまえば、そのゲームソフトは売れない。売れないどころか彼らはそのソフトに最もふさわしく、長年彼ら の間で親しまれてきた“蔑称”を授け、商品寿命に止めを刺す。


ならば、ユーザーに面白いと思ってもらえるようなソフトを作れば良いのだか、彼らの価値判断基準は実に曖昧だ。明確なもの、不変なものを探り出すのは至難 の技と言って良い。そのため、ゲームソフトの売り上げをあらかじめ予測することはかなり難しい。


例外として、販売本数を事前に予測できるソフトがあるが、 それは一握りの人気シリーズ続編に限られる。つまり、ゲームソフトをビジネスにすれば、この不安定さが良くも悪くもメーカーの業績を大きく変えてしまう可 能性を常に孕んでいるのだ。


ソフトメーカーは、これまで業績を安定化させるべくその宿命を何とか解消しようと努力してきた。最も有効とされる策の一つが発売タイトルを増やすことだ。発売されるゲームソフトが増えれば、それだけ売り上げ本数が伸びる。予測が外れ、思わぬ不振に陥るソフトがあっても発売タイトルが多ければ、それを補える。


仮に、発売タイトルが少ない無い場合『供給するタイトル数を増やし、リスクを分散すべきだ』(2001年3月2日 日経金融新聞)と証券アナリストから指摘されることもあるほどだ。それだけ、このリスク回避策は一般的なのだ。だが、コナミは発売タイトル数を増やす方法 以外にも、別なやり方を以って業績の安定化を試みた。


コナミの解決策はゲーム業界の宿命とも言える不安定さを仕方の無いものだとあきらめ、ゲームとはさほど縁が無い、毛色の違う事業を保有することで企業全体 に与える悪影響を最小限に食い止めようとしたのだ。フィットネスクラブ運営企業「ピープル」(現コナミスポーツ)、玩具メーカー大手のタカラなどの企業を コナミの傘下に入れたのは、コナミの業績を安定化させるための重責の役割を期待したからなのだ。


ゲーム業界が抱える問題点を言わば「棚上げ」することで、宿命の悪影響を解決しようと試みているコナミのやり方は“力業”ではある。はっきり言えば、大企業でなければできない解決策であろう。ただ、これも一つの解決策であるのは間違い無い。


自社の企業規模を多いに利用し、ひとりゲーム業界の宿命との決別を宣言したコナミ。その選択肢が正しかったのかどうか、真価が問われるのはコナミがゲームソフト事業で苦境に陥ったときだ。結論は、まだ出ていない。(つづく)


続きはこちら→第四章:「「経営陣の手腕」」

2007年05月08日

過去のコラム編集:2002年3月 「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」part2

当該記事は、2002年3月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」の第一章です。

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第二章:「テクモの挑戦」

第一章:「ゲーム業界の七癖」はこちら


ゲーム業界に染みこんだ延期癖を何とか克服しようと努力を重ねたのがテクモである。延期癖という悪癖は、実は当のソフトメーカーにも重荷になるものだ。当初予定していた発売日を延期すればそれだけ開発期間が長くなる。ゲームの開発費の多くは人件費なのだから、開発期間が延びれば延びるほど開発者に支払う人件費が事前の予想以上に積み重なっていく。


開発期間が長期化すればそれだけ、ソフトメーカーの負担が重くなるのだ。これはソフトメーカーにとっては痛い話 だ。発売延期の報はゲームユーザーには失望と落胆しか与えないが、ソフトメーカーにはこれに金銭的なダメージも加わるのだ。


しかし、テクモは半ば慣例化していた延期癖の一掃のために解決策を用意した。それは、開発者に発想の転換を求めるものだった。テクモの中村社長はこう言っ て開発者を指導したという。『作品ではなく商品を作れ』(2002年2月19日 日経産業新聞)。旺文社発刊の「国語辞典 第八版」によると作品は『文学・美術・音楽などの創作物』(P493)であり、商品は『売るための品物』(P626)だと記されている。


つまり、テクモが 作るゲームソフトは文化的な価値を重視する“作品”ではなく、売るための“品物”なのだと中村社長は説き、開発者達にゲームの完璧な出来栄えより、開発コ ストの面に重きを置くよう発想の転換を促したのだ。


ともすれば開発者はゲームソフトを作品であると考えがちであり、作品に完璧を求めてしまう傾向にある。これが開発期間が延びる原因になってきたのだ。しか し、彼らに発想の転換を求め、コスト意識を植え付けておけば、開発期間の延長がどんな不利益を自社にもたらすのかを理解するようになる。


そうなれば、なるべく予定された開発期間にゲームソフトを完成させるべく努力するだろう。あまりに弊害が多過ぎる延期癖を直すためにはコスト意識を植え付けることは絶対に必要だったのだ。もちろん、開発チームのトップにコストを管理する責任を負わせたり、開発期間が延びすぎたゲームの開発を中止させるなどの措置を執ることも忘れずに行なった。


だが、それは手助け程度の効果しかない。ゲームを効率的に開発し、あらかじめ予定した開発期間内通りに完成させるには、開発者の努力 が何よりも大切なのだから。


商品よりも作品を作りたくなるのは開発者の性なのかもしれない。そう思わせる言葉を玩具メーカー大手のトミー社長富山幹太郎氏は口にしたことがある。彼は 過去に自社の開発部門の人間を指してこう述べた。『開発部門は夢見る少年ばかり。売れる商品ではなく試作品を作るのがうまいだけ』(2000年11月27 日 日本経済新聞)。


“商品”ではなく“試作品”をつくる玩具開発者。開発者はどこでも一緒らしい。彼らはなまじ新しいものを創造できる才能があるために、つい“作品”を作りたくなる人種なのだろう。だからこそ、開発者なのだと言うこともできるが、それだけでは駄目なのだ。開発者の本能を抑えつつ、開発者を活 かす術の一つがコスト意識の徹底なのである。テクモが延期癖を克服した背景にはこうした事情がある。(つづく)



第三章「コナミの試み」へ続く

2007年04月28日

過去のコラム編集:2002年3月 「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」part1

当該記事は、2002年3月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲーム業界の構造改革 〜悪癖と宿命との決別〜」の第一章です。

2002年の記事ですので、かなり古い記述になっておりますが、文章の保存を
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第一章:「ゲーム業界の七癖」




人の持つ、幾つかの癖のことを「七癖」と言う。「無くて七癖」とも言われるこの慣用句はあまりにも有名すぎる言葉である。だが、「七癖」は人にだけに通用する狭い範囲の意味しか持たない慣用句では無いであろう。


複数の人間が集まって構成される組織や団体・集団にも「七癖」と呼ばれるものがあると考える。そこには人が関わっているのだから、当然の事なのかもしれない。例えば、「社風」や「家風」という単語はその組織・団体だけが持つ独特な気風を指している。


これは言い方を替えれば、「癖」とも表現できるのだから「七癖」は人以外にも通用する言葉であると言える。では、ゲーム業界にはどんな「七癖」があるのだろうか。

ゲーム業界の「七癖」の一つであり、そして最も悪い癖が「ゲームソフトの発売日の延期癖」だ。この延期癖は業界を支えるゲームユーザーから忌み嫌われている癖でもある。発売日を延期するゲームソフトは人気作にその傾向が強い。


特にエニックスの「ドラゴンクエスト」シリーズ、スクウェアの「ファイナルファンタジー」(FF)シリーズは延期を繰り返すソフトとして有名だ。延期に延期を重ね、発売日が当初予定していた発売時期から大きくずれるのは珍しくない。


両作品ともエニックス・スクウェアを支えていると言って良いほどの大人気ソフトだけに、発売日の延期が企業業績に深刻な打撃を与える事態も過去にはあった。業績がソフトの発売延期によって突如として変更され、迷惑を被るのは投資家だ。彼らもまたゲームユーザーと同じように延期癖を忌み嫌う。


もちろん、ソフトメーカー側でも延期癖を何とか無くそうと努力しているようだが、あまり目に見えた効果が表れてきてはいない。事実、スクウェアの「FF」シリーズの最新作「FF11」も当初の計画から遅れ、2002年5月発売予定に延期されている。


同社は2002年3月期に150億円を超える赤字になると見込まれており、経営再建が急がれるが、その骨子は和田新社長が言うように『プロジェクトごと の利益や納期を明確にし、コスト増に歯止めをかける』 (2002年1月10日日経金融新聞)ことなのだ。それにも関わらず「FF11」は延期される。ゲーム業界の「悪癖」克服は容易ではないのだ。


だが、そんな業界の中で異色のソフトメーカーも存在する。このソフトメーカーでは過去5年ほどでわずか1〜2作品しか発売を延期しなかったという。延期が 当たり前の業界では特異な存在だ。そのメーカーとは「デッドオアアライブ」(DOA)シリーズを抱えるテクモだ。


今回のコラムでは、ゲーム業界が抱えている大きな問題について、独自に解決策を見つけ出した二つのソフトメーカーを取り上げることにしたい。まず、最初に俎上に載せるのが延期癖を見事に克服したテクモであり、次にゲーム業界の宿命とも言える「不安定さ」による悪影響を無くそうと奮闘しているコナミである。



折りしも、日本経済の構造改革の必要性が声高に叫ばれる中、両社が始めたゲーム業界の構造改革に着目するのは少々面白い事なのかもしれない。(つづく)


第二章【「テクモの挑戦」】へ続く