2007年08月07日

過去のコラム編集:2002年4月「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」part4

当該のゲーム業界記事は、2002年4月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」の第四章(最終章)です。

2002年の記事ですので、かなり古い記述になっておりますが、文章の保存を
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ので、ご了承下さい。



第四章(最終章):「危機感」


任天堂を一連の行動に突き動かしたのは、ゲームに対する危機感があったためだと、最後にそう予想する。いまゲームがおかれている環境は決して安穏としていられるものではない。特に、新作ゲームソフトのマンネリ化が進む現状は、将来のユーザー離れを引き起こす種子をばらまいていると言っても良いぐらいの危険性を孕んでいる。


山内社長はゲーム開発ファンド「ファンドキュー」を設立した趣旨をこう話している。


日本のテーマパークはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)と東京ディズニーランド以外は厳しく、遊ぶ人の選択肢が絞られてしまった。ゲームソフトも同じで、ロールプレイングやアクション、格闘ゲームとは違う新しいジャンルを作り上げる必要性を痛感している。才能を伸ばして新ジャンルを作るための開発資金が必要だが、IT不況でベンチャーキャピタルはゲームソフト開発に投資してくれず、銀行も貸してくれない。それで基金を創設した』(Mainichi INTERACTIVE 以下、前記)。


山内社長を巨大ゲームファンド設立へと走らせたのは、この強い焦燥感があったためだ。つまり、周りの環境の変化を放っておくと、ゲーム産業が駄目になるかもしれない。そのような危惧が山内社長を、任天堂を動かしたのである。


唯我独尊であり、かつ傲岸。これがいままでの任天堂だった。しかし、環境は大きく様変わりしつつある。今のままの対応ではいけないと彼らは考え始めたのだ。「ファンドキュー」の存在は、そんな任天堂の新たな意思表示でもある。“絶縁状態”だったスクウェアの関連会社に、従来のゲームの在り方を変えるためのゲームファンド「ファンドキュー」の資金を投入し、“他企業”のゲーム開発を後押しする。これだけを見れば、任天堂が変わったのが一目瞭然でわかるだろう。


任天堂の態度の変化は、ひとつの理由だけでもたらされたものではない。いくつかの要因が複合的に重なり合って、変わらざるを得ない状況に立たされたのだ。自社ハードの活性化のための対応は急務であるし、社長の交代は任天堂にとって変革を迫られるほどの一大事だ。さらには、ゲームを取り巻く環境が以前より厳しさを増しつつある現状も、任天堂に変わる原動力を与えた。


やはり、何かが変わるためにはきっかけが必要なのだ。ただ、今のところ、任天堂が変わったことによる恩恵は、スクウェアなどの一部の企業にしか与えられていない。今後は、特定の企業だけではなく、ゲーム産業全体に恩恵をもたらすことが求められる。


だが、心配には及ばないだろう。何と言っても彼らには、ゲーム産業をここまで大きくしたのは我々だという“プライド”がある。そのプライドに懸けても、ゲーム産業全体に寄与するような政策を打ち出していくだろう。ともすれば、あまりに大きくなりすぎ、他企業からすれば、さぞや煙たいものだったろうが、これからはそんなことを気にする必要は無い。


…少なくとも、任天堂が危機感を持っている当分の間だけは。(おわり)
タグ:ゲーム業界

2007年08月06日

過去のコラム編集:2002年4月「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」part3

当該のゲーム業界記事は、2002年4月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」の第三章です。

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第三章:「交代」


任天堂が変わりつつあるのは、山内社長の退任が間近に迫っていることも関係しているのではないだろうか。山内社長は、任天堂の育ての親であり、中興の祖でもある。彼が数ヵ月後に、その席から離れるのは確実だ。任天堂は、いまポスト山内を探しているようだが、最適な者はおそらくいない


それは山内社長自身が『これからの任天堂は1人の人間の力でどうなるものではない。集団指導体制になる』(Mainichi INTERACTIVE ゲームクエスト「“Xboxは売れない” 任天堂社長、山内溥さん」 2002年1月17日)と述べていることからもわかる。適任者がいれば、真っ先に名前をあげるはずだからだ。


インタビューで後任の社長の名をあげるのを、ためらう必要は無い。その名が出てこないと言うことは、理想の次期社長候補は存在していないからだ、と考えるのが自然であろう。後任の社長が具体化していないのは、それだけ山内社長の存在が大きすぎたためだが、その一方で偉大な社長がいなくなるのは、任天堂が変わるチャンスでもある


しかし、山内社長が退任すると言っても、任天堂には大きな変化が訪れないと見る人は多い。山内氏が任天堂を去ったとしても、実質的な影響力はそのまま残っており、これまでと何ら変わらない経営を任天堂は続けるだろう、と。確かに、社長交代を契機に任天堂の経営方針が劇的な変貌を遂げると期待するのは間違いかもしれない。任天堂は、良い意味で変わらない可能性は十分にある


それでも、任天堂の内部では変化の息吹は着実に芽生えていると見える。今回の任天堂のソフトメーカーへの態度の変化は紛れも無く、その息吹ではないのか。任天堂は良くも悪くも、非常に個性的な山内社長をトップにしてやってきた。任天堂の方向性を決してきたのは、山内社長なのだ。彼の性格が任天堂の姿勢や態度、方向性などににじみ出ても不思議ではない。


任天堂は、これまで山内社長の存在に大きく左右されてきたのだが、今後はそうではなくなる。それが例え、形だけであっても、任天堂に様々な影響を与え続けた同社のトップ、いわば“顔”が変わるのだ。何かが変わっていかなければ、社長交代の意味がないはず。任天堂の軟化には、今後訪れるはずのトップの交代が関係したと考えられるのだ。


これからの任天堂には、変革の波が覆うかもしれない。トップが交代するかしないかの時点で、すでに変化の兆しが見える組織がそのまま現状に留まっているとは思えないのだ。何かしらの改革がなされるだろう


変わり身が早いのは組織にとって、ひとつの特長でもある。それだけ柔軟な組織だと言えるからだ。特にゲーム産業という変化が激しい環境でビジネスをしている企業にとって、柔軟な対応力を有しているのは“財産”でもある。任天堂が長年の間、世界最大のゲーム企業に留まっている理由のひとつには、この財産が関係しているのだと言ったら間違いだろうか。(つづく)


続きはこちら→最終章:「危機感」へ続く
タグ:ゲーム業界

2007年08月05日

過去のコラム編集:2002年4月「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」part2

当該のゲーム業界記事は、2002年4月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」の第二章です。

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第二章:「再認識」


任天堂が今までの態度を軟化させ、スクウェアなどのソフトメーカーに寛容な姿勢を取るようになってきたのには、GBAが思うように伸びていない事情があるからではないか。


GBAのハード自体は発売以来、順調に売れているのだが、専用ソフトがあまり良い売上を残せず、伸び悩んでいる。『アドバンスのソフトは一タイトルあたりの販売本数が少ない』(2002年2月14日日経産業新聞)と販売店から嘆き節も聞こえてくるほどだ。GBA用ソフトのタイトル数は数多く出ているにも関わらず、タイトル数に見合った販売本数を確保できていないのが現状だ。ハードの利益率の低さを、ソフトの高利益率でカバーしているゲーム産業の特徴を考えると、任天堂にとっては厳しい結果が出ている。そうなると、任天堂としては、売れるソフトを何としてでも確保する必要がある


その際に、スクウェアのゲームソフトをGBA用ソフトとして再参入させる選択肢が検討されたのであろう。そうでなければ、スクウェアとの取引再開をもうすこし早めに発表していたと思えるからだ。スクウェアはこれまで、任天堂と再参入について交渉を重ねていた


もし、任天堂が従来から再参入の許可を検討していたのであれば、もっと早くスクウェアに伝えてもおかしくは無い。なぜ、GBAソフトの販売不振が今年一月に表面化してからの再参入発表だったのか。あまりにもタイミングが良すぎる。まるで、スクウェアソフトをGBAに投入することでソフトの販売回復をもくろんだのだと、言っているのと同じことだ。


任天堂はソフトの販売回復をスクウェアソフトで達成しようと考えた。仮に、そう仮定すると任天堂は他社ブランドの価値を再認識したのだと言えよう。同社が、世界最大のゲーム企業に成長したのは、ゲーム機「ファミリーコンピューター」(ファミコン)の大成功が土台になっているが、ファミコンの成功は、任天堂ソフトの存在だけでは語ることはできない


他社の優れたソフトもまたサクセスストーリーを形成する上で重要な役割を担ってきた。しかし、任天堂は「ファミリーコンピューター」「スーパーファミリーコンピューター」「ゲームボーイ」などの華々しい成功の影で、他社のソフトがもたらしてきた恩恵を忘れていったのだろう。“思い上がり”とも言える任天堂のこれまでの態度を見れば、そう思えてしまう。


その任天堂が、業界関係者に『(任天堂に)後ろ足で砂をかけて出ていったようなもの』(2002年1月10日日経金融新聞)とまで言わしめたスクウェアを容赦したのは、他社ブランドが果たしてきた役割の重要性に気がついたからではないか。


セガやナムコなどとも、協力体制を築きつつある背景には、スクウェアの場合と同じ理由があったからだと推察できる。つまり、任天堂はGBAやGCなどをハードの面からもソフトの面からも盛り上げるためには、過去の成功例から、他社の協力が欠かせないと判断したのだ

スクウェアに対しての態度の変化から、方向性という“舵”を切り替えた任天堂の姿を確認できる。(つづく)


→第三章:「交代」へ続く
タグ:ゲーム業界

2007年08月04日

過去のコラム編集:2002年4月「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」part1

当該のゲーム業界記事は、2002年4月頃(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「変わり行く任天堂 〜変化に迫られたわけ〜」の第一章です。

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第一章:「軟化」


スクウェアと約5年の長きにわたって絶縁状態にあった任天堂が、GBA(ゲームボーイアドバンス)へのソフト供給を許可し、業界を驚かせたのは今年三月の話だ。正式には、新たに設けられるスクウェアの関連会社が、開発を手掛けることになっており、スクウェア本体が開発をするわけではないのだが、これは大株主であるSCE(ソニーコンピュータエンタテインメント)に配慮した“言い訳”であり、事実上スクウェア自身が任天堂ハードに供給を再開したと、殆どの人が見ている。


GBAへのソフト供給は将来的には、GC(ゲームキューブ)への供給に繋がる可能性が高いだけに、PS2(プレイステーション2)を抱える SCEにとって見れば愉快な出来事ではないだろう。ただ、SCEにそれを止める権限は無い。彼らはスクウェアの経営に口出しをできる立場にはあるが、スクウェアの方向性をSCE一社の意思のみで決定するだけの株数を有していないからだ。複雑な気持ちを抱えつつも、SCEは認めざるを得ないだろう。


今回の騒動の発端は、任天堂がスクウェアにソフト開発を許したためであるが、任天堂はこれまで、スクウェアの再参入を頑なに拒んできた。スクウェアは供給を再開したいと何度も打診してきたが、『そう簡単ではない。“シェアが上がったからこのハードで出す”という割り切りができる世界ではない』 (Mainichi INTERACTIVE ゲームクエスト キーマンインタビュー 「任天堂副社長 浅田篤氏」 2001)と言って断りつづけてきたのだ。それだけに、今回の決定は、驚きを以って受け止められた。


しかし、任天堂がこのたび見せた“変化”は何もスクウェアにだけではない。任天堂は他のソフトメーカーにも、これまでとは対応を変えつつある。セガとは、共同でソフトを開発しようと試みたり、ナムコ・セガと共に、GCと互換性を持たせた業務用ゲーム機向けの画像基盤を作り上げようとしているのが、その証左であろう。両方の事例は、どちらも今後のGCへのソフト供給をにらんだものである。


かつての任天堂であれば、このような態度をとらなかったはずだ。(1997年6月 27日朝日新聞)、『どうしても開発したいのならどうぞ』(同)。これが今までの任天堂だった。ある意味、常にどんな相手にも傲岸な態度で接するのが“任天堂らしさ”と言えたのだが、最近はそのようなことはなくなりつつあるように見える。これはなぜだろうか。


以前の任天堂であれば、スクウェアの要請には聞く耳を持たず、セガやナムコとはわざわざ一緒にソフトや画像基盤の開発などはしなかっただろう。だが、今回は様子が違っている。任天堂の態度が徐々にではあるが、軟化の傾向を示してきたのだ。


なぜ今になって、対応を変化させたのであろうか。任天堂が変わった理由。その理由をこれから幾つか挙げてみたいと思う。そこから、変わらなければならない任天堂の事情が浮かんでくるだろう。(つづく)

続きはこちら→第二章:「再認識」へ続く
タグ:ゲーム業界