2007年12月28日

過去のコラム編集:2001年8月「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part4

当該のゲーム業界記事は、2001年8月3日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」の第四章(最終章)です。



当時はスクウェアの映画ビジネスに触発されるようにソフトメーカー各社がこぞって映画に興味を示している時期でした。このコラムでは、その流れがなぜ起きたのか、さらにはその映画ビジネスには問題点はないのだろうか、という視点の下で書き記しています。



「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part4
第四章(最終章):「問題点」


クリエイターの夢とソフトメーカーの技術によって映画ビジネスは始動することになったが、ソフトメーカーによる映画ビジネスには問題点はないのだろうか。もし、あるとすれば、どんな所が問題になるのであろうか。


一般的にビジネスにおいて最も重要な問題とは、そのビジネスから利益を得られるかどうか、である。語弊を恐れずに言えば、利益が生まれれば問題が無く、利益を手にできなければ問題ありと見なされる。


なぜなら、ビジネスを行う事業主体が利益を追求する営利企業であるためだ。ソフトメーカーも営利企業であるから、このような論理は同じように適用される。つまり、映画ビジネスの最大の問題点とは「利益を生むかどうか」なのだ


利益を稼ぐ事ができれば映画ビジネスは問題無しと見なされ、今後もソフトメーカーは映画を作り続けるだろう。しかし、映画から利益を得る事ができないと解れば、映画ビジネスそのものが問題視され、最終的に廃止される可能性が高い


現に巨額の開発費がかかったスクウェアの映画「FF」には株主や投資家からの疑問の声が挙がっているのだ
スクウェア側も今回の映画「FF」では、十数億円の赤字を見込んでおり、この数字を考えるとビジネスとして成功であるとは到底言い難い。


このような疑問の声を封じるためには、映画「FF」以降の作品で利益を挙げ、映画ビジネスはきちんと利益を出せるビジネスですよ、という証明をし、周囲を納得させなければならない。


しかし、今回のようなことが続くと、ソフトメーカーによる映画ビジネス自体が問題視されるのはほぼ間違いなく、その余波を受け、他のソフトメーカーも映画ビジネスから撤退するであろうことは容易に想像できる。だからこそ、せっかく立ちあがった映画ビジネスを存続させるためには、何が何でも利益があがる映画を早く作り出さなければならないのだ。


コーエーの襟川恵子会長は、それを踏まえて次のように述べている。『費用が安くて、いい映画が作れるという仕組みが確立されない限り、やらない。いま、研究中で(仕組み作りには)自信がある。3年以内には映画化を実現させたい』(LYCOSニュース 「フォーラム:中期経営計画“達成ペース上がっている” コーエー会長(ブルームバーグ)」 2001年7月2日(木)14時7分)。


果たしてソフトメーカーによる映画ビジネスは成立するのだろうか。動き始めた映画ビジネスだが早くも正念場を迎えている。(おわり)

2007年12月27日

過去のコラム編集:2001年8月「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part3

当該のゲーム業界記事は、2001年8月3日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」の第三章です。



当時はスクウェアの映画ビジネスに触発されるようにソフトメーカー各社がこぞって映画に興味を示している時期でした。このコラムでは、その流れがなぜ起きたのか、さらにはその映画ビジネスには問題点はないのだろうか、という視点の下で書き記しています。



「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part3
第三章:「夢」

 
ゲームから映画への流れは、何も制作面だけの必然性によるわけではない。それ以外の理由もあるのだ。ゲームから映画への進出の必然性を生み出したもうひとつの要因がクリエイター達の“夢”であろう


ゲームデザイナーの方にお話をうかがうと、“ほんとうは映画をつくりたかったんだよ”と吐露される方が多くて驚きます』(「ゲームの大學」 著平林久和・赤尾晃一 メディアファクトリー 1996 P289)。


ゲームクリエイターの人たちの間では、この言葉を証明するかのように映画好きの人が多い。一例を挙げると、「ロックマン」シリーズや「鬼武者」などを手掛けたカプコンの稲船敬ニ氏、コナミコンピュータエンタテインメントジャパンWESTの小島秀夫氏、ナムコ会長兼社長の中村雅哉氏などなど…。


特にナムコ中村氏の映画好きは有名で、破綻した名門映画会社「にっかつ」の経営再建を支援したり、映画配給・版権の販売等を行っているギャガ・コミュニケーションズの会長にも就任したりと、映画産業に深い関わりがある。


その他には、コーエー襟川陽一最高顧問やコナミ上月景正会長は、盛んに映画とゲームの融合を目指す、とも主張しているのだ


こうしてみると、ゲームクリエイター達には映画に対する憧れと、映画を作りたいという希望が前々からあったと言えるだろう。こんな背景があったからこそ、ソフトメーカーは映画ビジネスを始めたのではないだろうか。


確かに坂口氏の言う通り、ゲーム作りと映画作りは技術面・制作面で大差はないのであるから、ゲームから映画への進出は技術的に必然であったはずだ。しかし、技術だけでは面白い映画は作れない


クリエイター達にゲームと映画は制作面で似ているから、ゲームと同じように映画を作れ、と指示したところで面白いものができるはずが無いのだ。これはゲームソフトの開発と同じである。1996年に出版された「ゲーム戦争」という本によると、セガはゲーム開発には志願制を執っている、と記されている。


『上から強引に命じても、いいソフトができるわけがない。ソフト開発は、上司にいわれたから適当にやる、というものではない。あくまで、本人のやる気が主体であった』(「ゲーム戦争」 著大下英治 光文社文庫 P308 1996)。


全く同じことが映画作りにもいえるだろう。上からの命令で映画を作ったとしても良い映画などできるわけがないのだ。あくまで、彼らクリエイターが映画を作りたいと考えなければ、ソフトメーカーによる映画ビジネスなどは成立しないのだ。


そうであるなら、各ソフトメーカーが映画ビジネスに進出しようとしている現状は、それぞれのクリエイターが映画を作りたいという強い願望から必然的に生まれたものであるといえるだろう。つまり、映画ビジネスはクリエイター達の願望と、ゲーム制作技術からの二つの必然性があったこそ誕生したのである。(つづく)


続きはこちら→第四章(最終章):「問題点」

2007年12月26日

過去のコラム編集:2001年8月「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part2

当該のゲーム業界記事は、2001年8月3日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」の第二章です。



当時はスクウェアの映画ビジネスに触発されるようにソフトメーカー各社がこぞって映画に興味を示している時期でした。このコラムでは、その流れがなぜ起きたのか、さらにはその映画ビジネスには問題点はないのだろうか、という視点の下で書き記しています。



「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part2
第二章:「CG技術」


ゲームからCG映画への進出は必然的とコメントする坂口氏。ゲームの制作現場からはその理由を垣間見ることができる。高性能のハード機の普及により、ソフト開発作業が一層難しくなっている現状をナムコ子会社モノリスソフトの社長杉浦博英氏は『これまで一人でこなした作業を五-六人で処理するようになり、映画制作に近くなった』(日経産業新聞 2001年7月3日)と言い、複雑化しているゲーム制作作業が映画のそれに似てきていると主張する。


制作過程においてゲームと映画が似ているという杉浦氏に対し、映画とゲームはもう境界線が見えないほどに融合していると指摘する映画監督がいる。「写楽」や「梟の城」などの作品を作り上げた篠田正浩氏だ。篠田氏は『映画とゲームはすでに融合しており、ハリウッド映画は非常にゲームソフト化しています。』 (日本経済新聞 2000年9月21日)と述べている。


篠田氏がこう話す根拠のひとつには、CGの存在が両者にとって重要であるからではないだろうか。CGはゲームにおいても、映画においても非常に良く多用されており無くてはならないものになっている。篠田氏の映画「梟の城」では『八百二十カットのうち百カットがCG』(同)であり、中でも実際の撮影は困難であった場面ではCGを応用することで、よりリアルに、且つ幻想的な映像にする事ができたという。


ゲームも映画と同じように、CGは必要不可欠である。今はどのゲームでもふんだんにCGが使用されている。ゲーム中に使われているCGが海外から高い評価を受けるゲームも少なくないほどであるから、CGへの力の入れ具合が相当なものである事がわかる。


CGの制作においては、映画とゲームの間には隔たりがほぼ無いと言っても良い。映画のCGであっても、ゲームのCGであっても、同じCGを作り上げるのであるから、作業自体は殆ど変わらないのだ。坂口氏も『映画の製作は、技術面でゲーム製作と大差ない』(LYCOSニュース「映画“ファイナルファンタジー”、新たな仮想現実の世界を体現(ロイター)」 2001年7月12日(木)14時26分)と述べており、隔たりは無いと強調する。


そう考えると、CGを惜しみなく使うゲームから、CGが重要視されている映画に進出するのも当然の成り行きだったと言える。つまり、CG制作技術に代表されるようにゲーム作り自体が映画制作と大差ない状態にあるために、ゲーム作りに生かしてきたノウハウを容易に、映画作りに転用する事が可能であったのだ。このような背景があるからこそ、坂口氏は「ゲームからCG映画への進出は必然的だった」と語ったのである。


結局、ゲームビジネスによって培われてきたCG技術が、映画ビジネスへの進出を必然的にさせる素地を生み出したのである。(つづく)


続きはこちら→第三章:「夢」

2007年12月25日

過去のコラム編集:2001年8月「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part1

当該のゲーム業界記事は、2001年8月3日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」の第一章です。



当時はスクウェアの映画ビジネスに触発されるようにソフトメーカー各社がこぞって映画に興味を示している時期でした。このコラムでは、その流れがなぜ起きたのか、さらにはその映画ビジネスには問題点はないのだろうか、という視点の下で書き記しています。



「映画ビジネス始動 〜その必然性と問題点〜」Part1
第一章:「北米公開」


制作期間3年半。総制作費1億3700万ドル、日本円にして約170億円の巨費を投じて作られた映画「ファイナルファンタジー」(FF)。北米の2000 を超える映画館において現地時間の7月11日に公開された。監督はスクウェアの同名のゲームソフト「FF」シリーズを手がけている坂口博信氏。


映画「FF」は、北米での公開の後、全世界に配給される事が予定されている。スクウェア側の話によると『北米で上映される日本人監督の映画としては、最も多くの映画館で上映される映画』(LYCOSニュース 「FF映画、米で先行公開(夕刊フジ)」 2001年7月11日(木)12時0分)だとしている。


日経産業新聞も同様に『日本人監督が手掛けたハリウッド映画としては最大規模になる。』(日経産業新聞 2001年7月13日)と称している。映画全編をすべてコンピューターグラフィックス(CG)で表現されている「FF」を作り上げるために、世界22ヶ国から「タイタニック」や「マトリックス」などの大作映画の制作にも携わった事もあるクリエイター達が総勢200人集められたという。


こうしてみると、映画に費やされた資金や人数、さらには上映される規模など、どれを取ってもこの作品がかなり大規模な映画である事がわかる。


スクウェアは、この映画「FF」で、映画ビジネスを立ち上げたが、他のソフトメーカーも映画制作には意欲的になっている。ナムコはすでに映画制作の企画があると表明しているし、コーエーも同様に三年以内の映画化実現を目指し、現在研究している最中である。セガは、今年12月にゲーム「サクラ大戦」の映画版を公開すると発表している


このように、各ソフトメーカーがこぞって映画制作に取り組み始めているが、こうした流れは一体どうして生まれたのであろうか。その疑問を解く鍵は坂口氏の言葉にあると思われる。彼は『ゲームからCG映画への進出は必然的だった』(LYCOSニュース 「映画“ファイナルファンタジー”、新たな仮想現実の世界を体現(ロイター)」 2001年7月12日(木)14時26分)と述べ、必然性があったからこその映画制作だったと主張している。


では、なぜゲームからCG映画への進出は必然的だったのか。「映画ビジネス始動〜その必然性と問題点〜 Part2」からは、ソフトメーカーの映画ビジネスへの参入の理由を「必然性」というキーワードから導き出すとともに、ソフトメーカーによる映画ビジネス自体が抱えている問題点を指摘してみたいと思う。(つづく)


続きはこちら→第二章:「CG技術」