2008年03月28日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part6

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第六章(最終章)です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part6
第六章(最終章):「GC延期の真相」 


GCの延期の理由として「ハードの安定供給のため」と「自社のソフト開発の遅れ」がある。ただ、この延期の真相は、他社のソフト開発に合わせるという意味もあったのではないだろうか。


4月18日の会見上、山内社長はアメリカで行われるE3で「GCが評価されなかったら、発売の棚上げもありうる」と言っているが、「GCの評価」とは、つまり「GCでできるソフトの評価」に他ならない。山内社長はGCが成功するかどうかは、GCで発売されるソフトが命運を握っていると考えているのだ。


そのため、GCのソフトは面白いものでなければならないが、それが自社のものであるか、他社のものであるかは、この際、関係ない。GCが評価されなかったら、任天堂は「大打撃を受ける」(4月18日の経営方針説明会での山内社長の発言)のだから。


GCが評価されるためには、自社は勿論のこと、他社のゲームをも必要としている。だから、今回の延期は他社のゲームソフトメーカーに充分な開発期間を与える意図もあったと推測できるのだ。


任天堂は、必ずしもそうは思っていないかも知れない。しかし、延期によって結果として他社のゲームソフトメーカーに充分な開発期間を与えたことになったのは、紛れも無い事実なのだ。


これによって、GBAと同じく、GCでもハードと同時発売のソフトが多くなると予測できる。任天堂の家庭用ゲーム機に久し振りにソフトを出すゲームソフトメーカーも増えてくるであろう。


こうしてみると、任天堂はFC・SFC時代の未徹底であった少数精鋭主義に回帰しているように見える。ソフトの質はもちろん、多様性をも有していたFC・SFC時代に。そう言った意味では、GCは、FC・SFC の進化した生まれ変わりなのかもしれない。そうなると、GCはゲーム業界内でFC・SFCと同じ役割を演じる可能性がある。


王者PS・PS2に挑むGC。かつて王者だったFC・SFCから王者を奪ったPSと同じように、ナンバーワンプラットフォームを再び奪うことができるのだろうか。業界内で強固な地盤を作り上げたPS・PS2ではあるが、物事には絶対は存在しない。


PS・PS2がいつまでも王者として君臨し続ける保証は何処にも無いのである。だからこそ、GCが王者になる資質は充分にあるのだ。9月14日が楽しみである。(おわり)

2008年03月26日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part5

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第五章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part5
第五章:「成功がもたらした“失敗”」 


N64で実践された任天堂の少数精鋭主義は一定の成功をもたらしたが、その一方で無視できない弊害を生むようになった。その弊害とは、少数精鋭主義がもたらした「ソフト不足」である。少数精鋭主義が徹底されたことにより、任天堂ソフトが市場を独占するようになったが、逆にN64ソフト市場では任天堂以外のソフト不足が深刻になった。


いくら、任天堂のソフトが優秀だとは言え、自社以外のソフトを半ば締め出してしまう任天堂のやり方では、以前と比べてどうしても他社のソフトが不足してしまう。事実、ナムコやスクウェアといったそれまでFC・SFCを支えてきたゲームソフトメーカーはN64に殆ど供給することはなくなった。


こうした結果は、N64市場の多様性を奪うことにつながる。なぜなら、N64で任天堂が他社を締め出せば、締め出すほど「色々な種類のゲーム」が遊べなくなるからである。確かに、任天堂ソフトは質がよい。だが、任天堂では作れなくて、ナムコやスクウェアでなければ絶対作れないゲームは必ずあるはずなのだ。


N64では、少数精鋭主義を遂行したために、ナムコやスクウェアのゲームという、任天堂のゲームとは毛色が違うゲームが遊べる環境を排除してしまったのである。


しかし、任天堂の掲げた少数精鋭主義では、このような自体が起きることは、ある程度予測がついたはずである。では、なぜこれを「弊害」と捉えてしまったのであろうか。


その答えはPSの大成功にある。PSは「様々な種類のゲームの存在がハードを成功に導く」という戦略のもと、ソフトを豊富に供給した。ソフトの数こそが、ゲーム市場で勝利する要因であると考えていたのである。これは、任天堂の少数精鋭主義からと真っ向から対立するものであったが、ユーザーはPSに軍配を上げた。


99年度のPSとN64のソフト販売本数では、前記の通りPSが4285万本、N64が785万本と5倍近い差が生じていることが何よりの証拠であろう。N64の、一年間でのソフト総販売本数が785万本…。これがかつて、年間新作ソフトだけでも2700万本も売り上げたこともあるSFCの後継機が残した数字とは全く想像が出来ないほどの不振ぶりである。


任天堂にしてみれば、これほどの差(PSとの差であり、SFCとの落差でもある)が表れるとは夢にも思っていなかったであろう。N64は、少数精鋭主義の実践により、以前にも増して、質的な面でも、量的な面(販売本数) でも成功すると考えていたはずなのだから。しかし、そうはならなかった。質的な面では勝利しても、多種多様なソフトを供給したPSに量的な面で大敗したのである。


任天堂が「弊害」だと感じたのは、この点があるからであろう。少数精鋭主義を徹底するあまり、量的な面でPSにもSFCにも負けたのであるのだから。(つづく)


続きはこちら→第六章(最終章):「GC延期の真相」

2008年03月25日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part4

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第四章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part4
第四章: 「N64の成功」


N64は任天堂の期待通りの結果をもたらした。99年度の数字がそれを物語る。他社のゲームソフトメーカーの参入を抑制することで、99年度のN64ソフト売上ランキング上位30位の販売本数の合計のうち、なんと87.2%を任天堂のソフトが独占した。しかも、ソフト少数精鋭主義にふさわしく、N64ソフト一本あたりの平均販売本数は15万本を軽く超えている


他に10万本を超えているのは、わずかPS2だけであり、N64ソフト販売総本数(785万本) の5倍近い本数を記録したPS(4285万本)でさえも、ソフト一本あたりの平均販売本数は5万本程度でしか無いのである(「電撃王 BUSINESS SPECIAL Vol.1」 メディアワークス 2000 P61〜62)。このソフト一本あたりの平均販売本数がPSの3倍近い数字を残していることは、特筆に値する。


PS のように多くの種類のソフトをなんでも大量に出すのではなく、良質なソフトを選りすぐって出した方が、一本あたりの平均販売本数がとても大きな数字になっているからである。つまり、任天堂が言う「良質な選りすぐりのソフト」は、総販売本数という量の面では負けつつも、一本あたりの販売本数という質の面で大勝したのである。


任天堂のN64ソフト市場における高いシェアと、ソフト一本あたりの平均販売本数の高さは任天堂が掲げた「少数精鋭主義」が目指したものが結実した結果なのである。


市場の崩壊を招きかねない、PSのようなソフト大量供給を行うのではなく、少数の選りすぐりの良質のソフトを販売することで成功するという任天堂の戦略は、N64でついに成功を納めたのである。たとえ、それによってPSにソフト総販売本数で大敗しようとも……。(つづく)


続きはこちら→第五章:「成功がもたらした“失敗”」

2008年03月24日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part3

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第三章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part3
第三章: 「N64こそは」


任天堂がゲーム市場存続の為に掲げたその主張も、ファミコン(FC)やスーパーファミコン(SFC)時代では、充分とは言えなかった。特にSFC時代では任天堂は176社とのゲームソフトメーカーと契約を結び、「月に百本近くものソフトが出たこともあった」(「ゲームの大學」 著平林久和・赤尾晃一メディアファクトリー 1996 P350)ほどの乱売状況も記録したこともあったし、92年には「新作ソフトだけでも一八〇タイトル・2700万本」が出荷されたこともあったのである (「プレイステーション 大ヒットの真実」 著 山下敦史 JMAM 1998 P79)。


FCやSFC導入期ではきちんと少数精鋭主義を打ち出しつつも、充分に機能しなかったがこの数字から見てとれる。だが、N64発売時には、これらの習慣を見直し、任天堂の主張を固く守ろうとした。


他社のソフトメーカーから出す本数を限定させ、さらには他社のゲームソフトメーカー自体を極力参入させないようにしたのである。その結果、ナムコやスクウェアと言った大手のメーカーはPlayStation(PS)陣営に流れ、N64でソフトを出すことは殆ど無くなるのである。


これにより、任天堂はN64で初めて、自分の主張を実践できる環境が整ったことになったのある。従来から主張してきた「少数精鋭主義」は、N64という新プラットフォームでようやく実行出来る時がきたのである。(つづく)


続きはこちら→第四章:「N64の成功」

2008年03月23日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part2

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第二章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part2
第二章:「基本路線」



任天堂の基本路線とは、ゲームソフトの少数精鋭主義である。これは、数少ない選りすぐりのゲームソフトしか任天堂のゲーム機で出さないことで、粗悪ソフトをなくし、ユーザーに不利益を与えないようにするのが目的である。


粗悪ソフトを少しでも減らせるのであれば、極端な話、他社のゲームソフトメーカーには参入してほしくない、とまで考えている。それはソフトの数が多くなればなるほど、任天堂の良質なゲームソフトとは違う粗悪ソフトが世に出る可能性が高くなるからだ。


任天堂のゲーム機は第一に、ウチが開発するゲームソフトのためにある」(1997年6月27日 朝日新聞)。


今西紘史取締役が、こう話していることからも、任天堂の少数精鋭主義が、実は自社ソフト優先主義にもつながっていることがわかる。

なぜ、任天堂はこうした戦略をとるのか。それは昔、アメリカでそれまで繁栄を誇っていた家庭用ゲーム市場が粗悪ソフトの氾濫によって、ゲーム自体がユーザーから飽きられ、家庭用ゲーム市場が一夜にして崩壊してしまったという暗い過去が教訓になっている。


アメリカで起きた失敗を日本で起こしてはならない。そう考えた任天堂は市場崩壊の元凶であった「粗悪ソフト」を市場に出してはならないと判断したのであった。その目的を達成するためには、自社が率先して優れたソフト作り続けて、たとえ他社がソフトを開発したいと申し出ても粗悪ソフトが出る可能性を考慮して断る方針が生まれたのである。すべては市場崩壊をさけるために、である。(つづく)


続きはこちら→第三章:「N64こそは」

2008年03月22日

過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part1

当該のゲーム業界コラム記事は、2001年5月9日前後(詳細な月日は現在、不明)にメールマガジン「ゲームいろいろ情報」にて掲載された連載記事「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」の第一章です。


2001年当時は既にゲーム市場の覇権はソニー(SCE)に移っており、任天堂は窮地に立たされていた状況でした。プレイステーション2の登場によりSCEの優位はますます優位になり、携帯ゲーム機に依存する任天堂は据置型ゲーム機での立て直しを迫られていました。

その結果、プレイステーション2とは異なるコンセプトで登場したのがゲームキューブでした。このゲーム機のコンセプトは今の[Wii]に繋がるもので、現在の任天堂復活の礎を作ったと言っても過言ではないと思われます。このコラムでは、そのゲームキューブに込めた任天堂の意図を描き出したものとなっております。



過去のコラム編集:2001年5月「ゲームキューブ延期 〜任天堂の原点回帰〜」Part1
第一章:「二ヶ月延期」


2001年4月18日、任天堂は今年7月に発売されるはずであった家庭用ゲーム機「ゲームキューブ」(GC)の発売日を9月14日に決定すると発表した。


当初、任天堂は7月に発売すると明言し続けていたが、二ヶ月延期される事となった。これについて山内任天堂社長は「安定的・継続的にGCを供給するために延期するのだ」という主旨の発言をした。同時に山内社長は自社ソフトの開発も遅れていることも明らかにし、これもハード発売延期の一因であることを認めた。結局、GCはソフトの面でもハードの面でも、当初予定の7月発売は困難だったわけである。


一方、気になる価格であるが、5月24日の決算発表の場で公にすることになった。ただ、価格以上に、いや、GCの発売延期以上に、気になることが説明会場であった。それは、山内社長のこの発言だ。


「E3(注)でゲームキューブのソフトを始めて多くの人の前に出す。見た人の半分が評価するのが目標。評価されなかったらゲームキューブ発売棚上げも考える」(2001年4月19日 日経産業新聞)。  


評価されなかったら発売棚上げ……。ハードもソフトも9月14日発売に向けて準備し、明確に発売することを決めた後でのこの弱気発言。強気で鳴らす山内社長の発言とは思えないほどだ。


そもそも、山内社長は現行機の「NINTENDO64」(N64)を発売した当初は「究極のゲーム機」と形容していたし、マリオの生みの親である任天堂の宮本茂氏が「五年間は使える機器」(1997年6月27日朝日新聞)と言いつつも、「これをお買いになったら10年間(ゲーム機を)買わなくたって良いわけです」(「NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻ビデオゲーム・巨富の攻防」 P356〜357 著相田茂・大墻敦 日本放送出版協会 1997 (カッコ内は著者の加筆) )とも言っていたのだ。


その人物が、これから発売する、期待のゲーム機の「棚上げ」まで言及したのである。強気の塊とも言える山内社長の弁であるとは、にわかに信じ難い。


なぜ、山内社長はこのような弱気発言をしたのであろうか。そこには任天堂が従来から主張している基本路線に変化があったためではないだろうか。だから、山内社長は「棚上げ」発言をしたのだ。


では、どうして基本路線を変更しなければならなくなったのか。このコラムでは、それを考えつつ、最終的に、任天堂のGCはゲーム業界で生き残れるのかどうかまで検証してみたい。(つづく)


(注)E3とは、「Electronic Entertaiment Expo」のことで、世界最大のコンピューターゲームの祭典と言われる。アメリカで開催。


続きはこちら→第二章:「基本路線」